本日2/14から二十四節第一の立春における末候、七十二候における魚氷に上るです
聞いて、歌詞を読んで思ったこと
誤りがあることは大いに考えられますし、今回だけはどうも大きく外れている様な気がして、出来ればまだ公開したくないという想いが底にあります
まさに正覚とすがっている状態
先はまほろば教の方が良かったかもしれません
何にせよ、やると言い出したからにはやるしかありません
後で修正することがあるかもしれません
右下の本文か記事タイトルからどうぞ

時系列としてはまほろば教の方が先なのか、それとも魚氷に上り 耀よひてなのか判りません
天庭以前で行っていたことについてはまほろば教でどういう意味を持っているかを語っている為、これ単体では色々と意味不明かもしれません、と考えています
結局、ここで書く内容はほんの一説でしかありません
散々息巻いておきながら、書いている途中で今まで考えていた内容とも違うのではないかとも思えてきた
表と裏と言っても、実のところ魚氷もまほろば教も原曲の表自体に文面通りと比喩との2種類があり、更に天庭の中では裏があることから3種類あると思われます
魚氷の場合は
表表: 冬に氷の下で泳ぐ魚
表裏: 外へ出て行かない人
裏: 天鬼魚生の魚たる理由
という具合になると思われます
表表は文面通りで、魚氷の場合は特に表裏と直接繋がっていたりするので、表裏と裏に留めます
但し、原曲の時点と被っている部分で既に表裏と裏がほぼ一致しているという部分もあります
そういった部分については言及しませんが、統合します
神曲以後の話のみだと思っていたけれども、魚氷に上り 耀よひてを読むとどうも違う様な気がする
想像力不足で汲み取り間違えていたらすみません
外の世界で活躍する為の行動を必死に起こすということはないが、外の世界で注目されることに憧れている
今居る場所は注目される場所から遠く離れており、注目されることによる忙しさで引っ張り回されるということもなく暇である
自身を嘲笑う言葉も、過去と変わってしまったことを悲しむ言葉も、自身にとって都合の悪い声は全て消される
自身の周りには自身を肯定する言葉のみで、変わらずそのままであり続ける
その様な自身の口からは虹の様に輝く外の世界で注目されるという叶って欲しい夢や希望を漏らすが、
外の世界で活躍する人、そうではない人、その違いという現実を突き付けられて夢や希望を否定されてしまう
自身の好きな様に人生を費やす
魔除けとなる宝石である緋色の珊瑚の岩礁が囲っている様な環境は自身を守ってくれる
気分良く歌うも行く先は霧で包まれた様に見えず、外の世界で注目されることからは未だ遠い
誰かが自分を外の世界で注目される様に手を差し伸べてくれないだろうか
外の世界とは程遠いところにいる自身はただ漫然と人生を過ごしている
自身と同じ様な境遇にある仲間と一緒に1日1日を過ごしていく
暗い水底とは違う上方で空に舞う夕焼雲の様に遠い外の世界はどこまでも遠く、どうしたら外の世界で注目されることが出来るのか
答えは分からない
このまま悲しみ続けるか、このまま水の中で浮き沈みを続けるか
今居る場所に居続けても外の世界で注目されることは絶対にない
感情が荒んでは昔の自身が行ったことを懐かしく思い出して、今自身が目指しているものから離れてみるものの、昔の自身は今ここになく、昔の自身にも今の自身はない
その為、どうしたら良いかという活路を見出すことも出来ない
ある時、外の世界から注目される機会があり、見てみるとその場には必死に自分を売り込む人々が居た
毎日に苦しみながら自身の好きな様に人生を過ごす
自身を守ってくれていた珊瑚礁の様な環境は共生していた藻を放ってほぼ死に瀕している状態で、既に自身を守ってくれる様なものではなくなっている
周りの仲間と慰め合うも、この苦しい状態はいつまでも続くことになるだろう
一人で外の世界を注目されて生きていき、そして外の世界から泡の様に消える
そんな夢
夢が現実とならない毎日が嫌になる
外の世界から注目されていない人が他の人よりも先に外の世界へ上っていく
自身が夢見たものや自身が尊敬して好む人が外の世界にあるはずだと信じて
それに続いていこうとする人は数多く、外の世界へ出ては消える、その繰り返し
外の世界を目指す中から離れたこの場所は外の世界から遠くかけ離れている
ここは外の世界へ通じる様な上もなければ、外の世界で溢れた後の底の様な下もない
その為、外の世界から光が差し込むはずもない
外の世界から差し込んでくるかの様な機会の様でいて機会ではないもの
幼い頃に母が歌ってくれた歌を歌ってくれる人も居ない為、今では自身が歌っている
苦しい今とは違う、昔に戻りたい
昔を思い出しては消え、再び思い出しては消える
その繰り返し
自身が信じた先へ辿り着いたものの、何も得られるものはなく、自身が築いてきたものを見てみたところで何も残っていない
氷を破って外の世界へ出たものの、焼ける様な太陽の光と寒空とで晒され続ける様に毎日が苦しい
誰もがどうすることも出来ずに苦しみ続ける
それでも生きていく
ずっとずっとずっと
生きてこその通り、音の聞こえ方による比喩表現が優れていると考えていたけれども、この分野では特に優劣や貴賤がないことに気付き、今では何も残らず後悔や失意の中で苦しみと共に生きていくしかない
――という話だと思って書き始めたのだけれども、よくよく読んでいくと少し違う様な気がして、世間に注目されて活躍するという夢が叶うことはなくずっとこのまま世間の陰で苦しみながら生きていくしかないという絶望感漂う感じの方が正しい様な感じがしました
散々息巻いておきながら正しく掴み切れていない感じが自分の中に残っていて悔しい思いがあります
もっともっと聞いて読もうと思います
正直、旭を浴びて泡に消えるのは夢が覚めて現実へ戻るという意味合いもあるのではとか色々と思う点はありますが、敢えて外しました
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